じじい語りになってしまった
太楊とか乙楊の……
人に言えないネタをひたすら考えて楽しむときがございます。
韋護楊はあんまりないんだよな。人に言えないネタが。あんまりなだけであるのはあるのでノートに描いて満足してますが。
楊戩さんの時点で何でもアリ(蝉玉の言)なのに太楊の関係ってもひとつ何でもできちゃうから大変ですね。できてもやるなって説もありますが。
私の中では望さんの心の本妻は一貫して普賢さんで(そして社会生活上の本妻はビーナス)、しかも仙界大戦後の太楊(の決してまじめではない人に言えないネタ)を考えることが多いので、本妻がいなくなったからってそういうことしていいのか?この人はどこまで本気で楊戩さんに向き合うつもりなの?みたいなまともそうなセルフツッコミが頭の中だけで入っては用を為さなかったりと、不毛で楽しいです。
しかしまともに考えて、望さんって読者にも全く手の内を明かさないので(だから読んでて素で惹かれるし面白い)、神界の構想があったなんておくびにも出さなかったところが小憎いですね。それが水面下で存在していても同じように仲間の死を悼むところまで含めて彼はいいですね。
封神計画って始まって7年くらいは姫昌が西岐に帰るまでで費やしてると記憶してますが、一方で女媧との戦い~あとしまつの間は一ヶ月そこらで、その間に太公望が構想し燃燈が「長い年月をかけて」造ったってことはないだろうから…
計画始まってじき~7年くらいのクソ忙しくなるまでの間に望さんが既に考えてて、元始天尊づてに燃燈がその間に人知れず造ってたってことなんでしょうかね。
望さんと元始の、葛藤はありつつも微妙に結託してるというか、責めても責めきれない同類感というか、ああいうところ好きです。楊戩さんも別の意味でジジイ責めきれないところあるかなと思ってそれもいい…という記事を別口で書いてましたがまだ書き足しそうなので未公開。
「この人問題あるけど理屈を聞けばやってることの意味はわからないではないし、何より自分はこの人に育てられたからしょうがないか」っていう感じ?は共通してるかも知れません。想像です。
楊戩さんがクソジジイ言いながら元始を受け入れてるの、大変に孫感があって本当によろしいです。好きじゃないけど幼い頃から馴染んだじじい(なりに情はある)って感じですよね。
あと楊戩に関しては最愛の師匠の師だから究極背くことはないってのもあるかも知れないですね。それでもその人のせいで師が死んだらやっぱり許さないのが楊戩だとも思いますが。ときに情の深さが物分かりのよさを凌駕するのが楊戩の激しさって感じで、そらもー…好きです。
楊戩が元始をド詰めするシーンが私はめちゃくちゃに好きなんですけど、あそこのフォローも(藤崎先生は)さすがって感じでした。元始が楊戩に宝貝でんわ貸してやって、通話中は聞かないよって姿勢で背を向けてるの大人の態度じゃないですか。人がパスワード入力してるときに目を逸らすのと同様の…。といって実際絶対に聞いてないとはこの人の場合全く思えませんが。クソジジイだけど身に染みついた礼節ある動作はするっていう、あの絶妙な信頼感の揺らぎっぷり(読者の距離感からの)が本当によく表現されている。
元始はすごいな。作者に嫌われ、申公豹に嫌われ、王天君に憎まれ、楊戩にクソジジイ呼ばわりされ…主人公の師ながらあっぱれです。こういう人も(特に味方サイドに)いてほしいよね。