封神台と神界についてひとつ
玉鼎の魂魄が復活するなんて読者には思われてもいない頃に描かれた玉楊や韋護楊の二次作品の重みはすごい。
そもそも作中では序盤から「仙人は魂魄だけで復活できる(だから肉体を殺しただけじゃダメで、封神台に魂を閉じ込めておく必要がある)」と明言されていたのに、そこで描かれる仙道の死の重みは作品の最初から最後まで変わらなかった。
太公望が張奎を連れて封神台に聞仲を訪ねる話、あそこで封神された人々と現世の人が交わる姿を垣間見ても、そこにいる人々は「いつでも会える昨日の続きのその人」ではなかった。
聞仲や趙公明の生の声が聞こえる距離では描かれなかったという演出によるところも大きそう。
そうして封神台の中の穏やかな様子が読者に伝わっても、それでも現世で肉体と居場所を失うことは一つの究極の終わりだという前提が揺るがなかったから、長らく主要な仲間だった天化の封神があれだけ広く衝撃をもたらしたのだと思う。
やっぱりこの静かな場所は今生きている最中の人のためのものではないという隔絶の空気がどこかにはっきりと滲んでいた。
蓬莱島の戦いの最中に楊戩が伏羲を糾問するシーンにしても同じで、封神台にいる人は現世の住人にとって「いつでも会える人」ではなかったからこそあの凄絶な仲間割れ未遂のシーンが成り立ったと思う(タイミングといい、最高でした。太公望の受け止め方ごと印象深い描写です)。
そう思うと、太公望自身が封神台に初めて足を踏み入れる前に、桃源郷への道筋で普賢たち封神された人々に対して後ろ髪引かれる気持ちに彼は彼で一旦見切りをつけていたことにも大きく意味があったと理解できて、作者の構成のうまさにつくづく唸ってしまう。
このマンガは最後のオチまで考えて描いていると作者が途上で明かしていたとおり、ストーリー全体としてはハッピーエンドを計画しながらも決して予定調和の怠みを出さず、緊迫感を失わずに描き切られたところがすごいなと感嘆します。
蓬莱島に移り住んだ仙道たちは神界との境を小さくして、これからますます彼らに近づいていくけど(神界の神たちは肉体を既に失っているのか、肉体も復活したのかはよくわからない)、それはもちろん神たちの側が生者の側に寄ってきたのではなく、地上(地球ではないが)の仙道たちが人間の境地を離れて既に一度死んだ神に近い存在になっていくということで、全体としては肉体を失って魂だけが永続する世界に彼ら一人ひとりのステージは移っていくんだなー。
というイメージを、再燃してすぐから持ち始め、ああ、じゃ私は韋護楊さんは蓬莱島に来てから何やかんやあって恋愛になったらいいなと空想しているけど、人間の価値観で言うようないわゆる恋愛(肉体をベースにしたやつ)は彼らにとってはあくまで短い短い営みで、そのあとずっと続く神オールキャラワールドが本筋なのか…短い春を謳歌させるか〜。
と思ったり、でもなんか世界中の神話でも神同士は平気で恋愛しまくってるし(人間との間でも)、別にいいのかな…肉体がなくなるってこともないか。普通の人には姿を現さないとかいうことはできても?とか開き直ってみたり。
四不象の言う「みんなもいずれ」ってどのくらい先の話なんでしょうね。
天祥や武吉のような天然道士が寿命を終えて神界に迎え入れられるのであろう頃より先なのか後なのかも想像次第。
この“想像次第”の余地を大きく残しながら、一度築いた骨太な道筋は動かさないということが原作は本当にうまかった。外伝の望さんのあり方は、本当に作者先生に「ありがとう!!」と言いたくなるようなブレなさでした。私は本編の終わり方(特に主人公として物語を歩んできた太公望の最終的な身の置き方)に極めて感銘を受けた人なので、あの太公望の行き着いた境地がありきたりな緩さに曲げられてしまうことは耐えがたくて。スープーと合流して新たな生けるアドベンチャーに乗り出しても、彼の視点の先は(先送りにはなっても)潰えてはいないことが、本当に何か、変わらない一つの価値観に等しい希望として映りました。
関係ないけど通天教主は、人間界に降りて(聞仲をスカウトしたときみたいに)人間の女性と恋愛して子を成したってイメージでずっとおります。楊戩が生まれてすぐに金鰲島に連れていったんだろうとも。
楊戩は体の強さを見ても竜吉公主みたいな純血ではないだろうし、本当の父と母を知ったと言っても母親の話は個別に本人の口から出てこないところを見ると、当時、既に寿命で亡くなっているということで早々に納得したのかなと思わせられました。
それにしても教主権限(として想定可能であるところのもの)はズルい!!
少なくとも崑崙系の仙道体系は徒弟制だから道士が師匠以外の人に直接教えを請うのは法度っぽいのに、しかも楊戩は資格そのものはおそらく道士のままなのに、教主となれば師匠の頭一つポンと超えて、韋護が「楊戩にちっと教えてもらってくる」と一言言ったら道行はハイハーイと二つ返事で送り出してあとは楊戩に手取り足取り二人きりで指導してもらえるんだろうなって考えてしまう。
そもそも軍師代理のときから楊戩は道士たちの稽古つけてたからあんま変わりませんか。
楊戩は一介の道士が仙人界の教主に修行相手を頼むのは失礼って認識してましたが、韋護が(特に楊戩との間柄で今更)そんなこと気にするわけもなく。
道行は怠け者の韋護がやる気出してるなら歓迎して見送るじゃないですか。行った先で楊戩にベタベタして遊んでようが知ったこっちゃない…その前に楊戩に釘刺されるのがもっと好みですが。「忙しい僕がわざわざ来たんだから、ちゃんとやってね」とか。
楊戩って怒った顔がそれはそれはかわいいけど、言葉は厳しいこと言ってても顔は怒ってないってことも多いイメージです。なんか根がお人好しっぽいというか…。カワエエ〜。